SixTONESに落ちそうな嵐ファンの独白
SixTONESの沼に落ちそうだ。
落ちそうだ、などと言っている時点で、かなり好きになってしまっているのは否めない。
少しずつではあるが、膨大な量のYouTubeを見て。
曲を集めて、聴いて、覚えて。
生まれて初めて青春ラブコメ映画を観に行って。
これが、ここ数日の間に起こっている。
そもそも年明けから怪しかった。
身近にストファンがいることで接触が多かったこともあり、彼らはいつの間にか、するりと私の胸のなかに入ってきた。
そして私はいつの間にか、ストのことばかり考えている。
明らかに落ちかかっている。というか外から見ればおそらくとっくに落ちている。
それでも私は、「SixTONESが好きだ」と言えないでいる。
好きになることが、どうしようもなく、こわい。
私はずっと、嵐のことが好きだった。
今でも、嵐というグループの残したものが好きだし、メンバー5人それぞれのことを大好きでいる。5人は今も、世界で一番幸せになって欲しいと思う存在でいてくれている。
揺らがない、大きな愛を、思い出を残してくれた、大切な人たち。
それでも、「嵐」という存在がこの世から消えた衝撃は大きくて。
嵐が止んだ次の日、テレビの中で動く櫻井翔を一目見ただけで、涙が止まらなくなって、苦しくなるほど泣いた。
昨日まで彼のとなりにいた4人がいない現実が怖くて、悔しくて、寂しくて。
泣いて、泣いて、泣いて、
そしてその涙のぶんだけ、私の心には穴が空いた。
その穴を、早々に埋めようとは思っていた。
アイドルや俳優などではなく、音楽の趣味を見つけようだとか、本をたくさん読もうだとか、何か別の夢中になれるものを探すつもりだった。
ジャニーズ事務所のタレントを推すのは、嵐を最初で最後にすると決意した。
脱け殻になる自分が容易に想像出来たから、年を越す前から、そうしようと思っていたのに。
元日の夜、ベッドの中でひとり、Love so sweetを聴いた。
思い起こす大晦日の夜。
嵐の終わりは、あまりにも切なくて、あまりにも愛しくて、あまりにも美しかった。
そうして私は気づいてしまった。
穴を埋めようとしても無駄なことに。
嵐がいた穴は、嵐でしか埋められないことに。
メンバーの共演やエピソードトークは、2021年になった今でもある。嵐を感じられないわけじゃない。
でも私の心にある穴は、5人じゃなきゃ埋められなかった。
その隙間に入り込んできたのが、SixTONESだった。
もちろん、ストでもその穴を綺麗に埋めることはできない。
それでも、2019年1月27日からの2年間、嵐にズブズブに甘やかされて、アイドル浸けの日々に、終わりに向かう日々に慣れてしまった私には、今この瞬間を生きるアイドルは、あまりにも眩しかった。
嵐がいた穴を埋めることはできなくても、
それと同じくらいの大きさの「想い」を、ストは私に与えてくれた。
今年に入ってから、SixTONESを見ている今が、一番楽しい。
SixTONESが可愛い。SixTONESが格好いい。SixTONESが面白い。
SixTONESを、推したい。
でも、アイドルを、ジャニタレを推したくない。
V6兄さんが、解散するらしい。
TOKIO兄さんは、会社になるらしい。
SMAP兄さんはもういない。
タキツバもいない。
そして、嵐は、活動休止した。
アイドルグループに、永遠はない。
私は、まだデビュー2年目のSixTONESに、いつか終わりが来ることを恐れている。
それだけじゃない。
人生の半分の時間を捧げた嵐を、裏切るような気持ちにもなっている。
私にとって、ファンクラブへの入会は「契り」に等しい。
貴方たちのことを好きだと誓う、そのための名義だと思っている。
だから嵐がファンクラブ継続を決めたとき、安堵で涙が止まらなくて。
大声で泣きながら、カンパイ・ソングを歌った。
私が、嵐のことを好きだと第三者に認めてもらえる、たったひとつの会員番号。
それを守り通せることに、心底安心した。
それなのに、嵐がいなくなったとたんにこれだ。正直呆れる。
自分でも分かっている。私は嵐がいない寂しさをストで埋めようとしているだけだ。
私は、SixTONESという、ひとつの独立したアイドルグループを、別のアイドルグループの代用にしようとしているだけだと。そんなことは分かっている。
分かっているから、私はストを好きだと契ることができない。
今この瞬間、どうしようもなくストに惹かれていることは事実だ。
でも1ヶ月後も同じように、鮮烈に惹かれていられる自信がない。
嵐のことはずっと好きだと胸を張って言えるのに、
SixTONESのことをずっと好きだと、今の私は言えない。
それならば契らなければ良いだろう。
ファンクラブに入らなければいいし、CDを買わなければいい。
それも分かっている。でも出来ない。
だって、時間がないのだ。
SixTONESは毎分毎秒、前に進んでいる。
もう次には違うことをしているかもしれない。
それを、逃したくない。出来れば、ファンとして、共に歩ませて欲しい。
SixTONESの歩く栄光の道を、隣で、なんて贅沢は言わない。
でも、今この瞬間を生きるSixTONESを、ほんのすこしばかりだけ応援させてほしかった。後ろからその背中を見続けたいと、そう思った。
先ほど、YouTubeアーティストプロモに選ばれた際の動画を初めて見た。
沸き上がったのは、愛しさと、悔恨。
当時はまだ嵐が活休の発表すらしていなかったわけで。
つまり、私が他のアイドルに靡くはずなどなかったわけで。
それなのに、「この時から共に歩めていたら」という、ひどいたられば論が浮かんだ。
それでも私は今、SixTONESに出会ったのだ。
きっと、この時を逃したらもう遅い。
SixTONESという列車に乗るか乗らないか。
決めるのは、今しかない。
私は、「今」に間に合ったんだから。
列車は、今はまだ遠くとも確実にある終点へと走るだろう。
その終わりが、嵐のように美しいとも限らない。
めちゃくちゃブレイクして時代を作れる保証なんてない。
スキャンダルが出るかもしれない。
いつか6人じゃなくなるかもしれない。
そもそも、私がストを好きで居続けられる保証なんてない。
この列車に乗るべきか、私は決断しかねている。
こんな記事を書いた理由も、自分でちゃんと分かっている。
私は誰かに、許されたいだけだ。
私は誰かに、背中を押して欲しいだけだ。
SixTONESを好きになっていい。
遅いなんてことはない。
SixTONESを好きになるからって、嵐のことを忘れるわけじゃない。
誰かに
嵐に
そう言われたいだけだ。
私は今、ベッドの中で嵐ファンクラブの会員証を抱き締めながら、この文章を書いている。
SixTONESファンクラブへの入会手続きを、どうしても、進められないまま。
追記
ラフにラブを、という言葉を知りました。
わたし、嵐に対する感情が「好き」というよりも「執着」に近いんだよなぁ。
きっとストにもいつかそういう感情を抱いてしまう。ラフにラブを送るのが、とても苦手です。
嵐にタイムリミットが出来た2019年1月から、私はずっと焦ってたな。
応援しなきゃ、今しかないんだって、時に泣きながら、ボロボロになりながらも、愛を叫び続けてた。それこそ、喉が枯れるくらい。
健全じゃなかったなと、今なら思えます。
でも好きだった。好きでいることをやめられなかった。
ファンがアイドルを応援することは、義務になってはいけません。
でも、今思えば、去年の私はほとんど義務感だったな。
大好きだったし幸せだったけど、「見届けなければ」とどこかでずっと感じてた。
そんなんじゃなくて良くて、私は私の人生に少しだけ彩りを与えるためにアイドルを好きでいたい。
昔はそうやって応援できてたのに、いつから出来なくなっちゃったんだろうなぁ。
ラフにラブを。なんて優しくて、なんて難しい言葉なんでしょうね。わたしに出来るかな。
もう少し気持ちが安定したら、ストFCの入会手続きをします。
本当は今すぐにでも入会したいのだけれど、今はまだ、ストを見てて無性に泣きたくなる瞬間があるから。
それが悲しみなのか苦しみなのか幸せなのか喜びなのか、はたまた在りし日の嵐を重ねてしまっているのか、自分では分からないけど。
いつか、ただ笑ってストが好きだと言えるまでは、
スト担名乗るのは、おあずけ。